やりたいことをやっているのに、なぜか満たされなかった話

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私は今、自分で会社を経営しています。

主な仕事は通販と輸出です。

誰かに決められた仕事をしているわけではありません。

何をするかも、どんな事業に挑戦するかも、基本的には自分で決めています。

そして仕事で得たお金を使って、猫の保護活動もしています。

鶏を飼い、動物福祉について考えるようになり、スイーツ工房まで作りました。

昔の自分が今の生活を見たら、

「やりたいことを全部やっているじゃないか」

と思うはずです。

それなのに、ある時期から私は満たされなくなりました。

仕事が嫌いになったわけではありません。

夢を諦めたわけでもありません。

むしろ、自分がやりたいと思っていたことを実際にやっています。

それなのに、

「何のためにこんなに頑張っているんだろう」

と思う瞬間が増えていきました。

私が仕事をする本当の目的

私にとって、仕事でお金を稼ぐこと自体が最終目的ではありません。

もちろん生活するためにはお金が必要です。

会社を維持するためにも必要です。

ただ、その先にやりたいことがあります。

一つは、猫の命を救うことです。

私は保護猫活動を続けています。

猫を保護すれば、ご飯代も医療費も必要になります。

病気の猫がいれば、治療費が何万円、何十万円とかかることもあります。

だから、

保護活動を続けるためには、まず自分が稼ぎ続けなければならない。

その思いは昔から強くありました。

もう一つは、鶏の動物福祉です。

鶏を自分で飼うようになって、

「鶏にももっと幸せに生きられる環境があっていいのではないか」

と考えるようになりました。

将来的には、自分の活動を通じて動物福祉について伝えていきたいと思っています。

そう考えると、私はかなり自分のやりたいことをやっています。

だから本来なら、毎日充実しているはずでした。

やりたいことが増えるほど、責任も増えていった

ところが、実際にいろいろなことを始めると、楽しいことだけが増えるわけではありません。

責任も一緒に増えていきます。

会社には従業員がいます。

従業員にも生活があります。

猫を保護すれば、その猫の命を預かることになります。

鶏を飼えば、毎日世話をしなければなりません。

スイーツを販売すれば、商品に問題がないか、お客様にきちんと届けられるかという責任が生まれます。

新しいことに挑戦すれば、

「失敗したらどうしよう」

というリスクも増えます。

気が付けば私は、

やりたいことを一つ実現するたびに、新しい責任を一つ背負っていました。

最初は楽しかったことが、いつの間にか

「やらなければいけないこと」

に変わっていきます。

やりたいことでも、義務になることがある

これは自分でも意外でした。

私はずっと、

「好きなことなら頑張れる」

と思っていました。

確かに、それは今でも間違っていないと思います。

嫌いなことより、好きなことの方が続けやすい。

でも、

好きなことだから疲れないわけではありません。

猫が好きでも、毎日の掃除や通院が大変な日はあります。

鶏が好きでも、雨の日も暑い日も世話は必要です。

事業を作るのが好きでも、トラブルへの対応まで楽しいわけではありません。

やりたいことを仕事にした瞬間から、そこには責任が生まれます。

そして責任が積み重なると、

「楽しいからやる」

だったものが、

「自分がやらなければ」

に変わります。

この変化に、自分はなかなか気づけませんでした。

私は「達成すること」が好きだったのかもしれない

もう一つ気づいたことがあります。

私は、新しい目標を達成することがかなり好きです。

売上の目標を作る。

新しい事業を立ち上げる。

新しい施設を作る。

何かを始める。

そしてそれが形になる。

その瞬間には、強い達成感があります。

「できた」

「次もやってみよう」

という気持ちになります。

その達成感が、次の挑戦へのエネルギーになっていました。

だから私は、次々に目標を作ってきました。

でもある時、

達成することより、その後の維持の方が大変なのではないか

と思うようになりました。

事業を作る。

完成した。

終わり。

ではありません。

むしろ、そこからが始まりです。

達成した後には「維持する仕事」が残る

新しい事業を始めれば、毎日運営しなければいけません。

人を雇えば、その人の仕事を作り続けます。

猫を保護すれば、その猫は翌日からも生きています。

鶏を飼えば、何年も世話が続きます。

スイーツ工房を作れば、商品を作り続けなければなりません。

つまり、

達成は一瞬ですが、維持は毎日続きます。

私はずっと「作ること」にエネルギーを使っていました。

しかし、作ったものが増えるほど、維持するものも増えていきました。

ある時、新しく達成したい目標がなくなった瞬間がありました。

すると突然、今まで感じていなかった疲れが一気に出てきたような感覚がありました。

これまでは、

「次はこれをやる」

という目標があることで、疲労を感じる暇もなく走っていたのかもしれません。

目標がなくなった瞬間、疲労が見えてきた

私はそれまで、

何かを達成すること=前に進むこと

だと思っていました。

だから常に次の目標を探していました。

でも、次に何を達成したいのか分からなくなった時、

それまで後ろに隠れていたものが見えてきました。

疲れている自分。

プレッシャーを感じている自分。

少し休みたい自分。

責任を減らしたい自分。

ずっと無視していた気持ちだったのだと思います。

「もっと頑張りたい自分」だけを見て、

「もう疲れた自分」を見ないようにしていました。

幸せになるために始めたことが、自分を追い込んでいた

ここで少し怖くなりました。

私は何のために仕事をしているのだろう。

猫を幸せにしたい。

鶏を幸せにしたい。

従業員にも安心して働いてほしい。

会社も続けたい。

全部、自分が望んで始めたことです。

でも、

そのために自分自身が壊れてしまったら、何の意味があるのだろう。

そう考えるようになりました。

周りを幸せにするために自分が不幸になる。

それでは長く続きません。

自分自身が元気だからこそ、猫の世話もできます。

鶏の世話もできます。

会社も経営できます。

だから最近は、自分自身の幸せも活動を続けるために必要なものだと思うようになりました。

「持っているもの」と「幸せを感じること」は違う

以前の私は、

これができたら幸せ。

これを手に入れたら幸せ。

この売上を達成したら幸せ。

そう考えていました。

でも実際に手に入れてみると、人間はすぐにそれに慣れます。

ずっと欲しかったものでも、日常になれば当たり前になります。

そして、

「次は何を手に入れよう」

と考え始めます。

これを繰り返していると、永遠に満足できません。

最近は、

幸せは何を持っているかより、今持っているものを幸せだと感じられるかどうかなのではないか

と思うようになりました。

猫がそばで寝ている。

鶏が元気に歩いている。

会社が今日も動いている。

普通にご飯を食べられる。

散歩できる。

ゆっくり眠れる。

以前なら、

「そんなことは当たり前」

と思っていたことです。

でも本当は、その当たり前の中にかなり多くの幸せがあるのだと思います。

何かを増やすより、今あるものを見る

私は長い間、

「もっと」

で生きてきました。

もっと売上を増やしたい。

もっと事業を作りたい。

もっと資産を増やしたい。

もっと猫を助けたい。

もっと大きなことをしたい。

その気持ちがあったから、ここまで来られました。

だから向上心そのものを否定するつもりはありません。

これからも新しいことには挑戦すると思います。

ただ、

増やすだけでは幸せになれない

ということにも気づきました。

これからは、

何を増やそうか

だけではなく、

今、自分の周りに何があるのか

も見たいと思っています。

満たされなかったのは、足りなかったからではなかった

昔の私は、満たされない時、

「まだ何かが足りない」

と思っていました。

もっとお金。

もっと成功。

もっと実績。

もっと新しい挑戦。

でも今振り返ると、逆だったのかもしれません。

何かが足りなかったのではなく、

すでにあるものを感じる余裕がなかった。

走り続けていると、景色を見ることができません。

次のゴールばかり見ていると、今どこにいるのか分からなくなります。

私はこれまで、やりたいことをかなりやってきました。

それでも満たされない時期がありました。

だから今は、

「次は何をするか」

を考える前に、

「今、自分は何を持っているのか」

を見ることも大切にしたいと思っています。

挑戦すること。

成長すること。

目標を達成すること。

それも人生の楽しさです。

でも、

何も達成していない普通の一日を幸せだと思えること。

もしかすると、それが私がこれから身につけたい一番大切なことなのかもしれません。

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